[poem] またしても待つ便り - 또 기다리는 편지   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

                            またしても待つ便り  
                                                             チョンホスン
                            落ちる夕陽を眺めつつ
                            今日もあなたを愛しました
                            日暮れ後の空に星は見えず
                            寢入った世に殘月空虛の道へ上がると
                            愛と暗の海邊に出かけ
                           暮れ行く島一つ浮べながら泣きました
                           孤獨な人人は何處かへ消え
                           每年初雪になって降りそそぎ
                           早朝よりも深い曉,島緣に坐り
                           今日もあなたを愛することより
                           待つことがもっと幸せでした

                           또 기다리는 편지
                                                         정호승
                           지는 저녁해를 바라보며
                           오늘도 그대를 사랑하였습니다
                           날저문 하늘에 별들은 보이지 않고
                           잠든 세상밖으로 새벽달 빈 길에 뜨면
                           사랑과 어둠의 바닷가에 나가
                           저무는 섬 하나 떠 올리며 울었습니다
                           외로운 사람들은 어디론가 사라져서
                           해마다 첫눈으로 내리고
                           새벽보다 깊은 새벽 섬기슭에 앉아
                           오늘도 그대를 사랑하는 일보다
                           기다리는 일이 더 행복하였습니다.

댓글을 달아 주세요

           

駐美三等書記官 (四)   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

海外勤務の發令
外務部生活をしながら最も羨やましかったのは, 何といっても在外公館への勤務發令を受け, 海外に出向く上司や先輩達を見送る時であったと思う. 獨立してまだ日淺く, 國家の財政も豊かでなかった當時のわが國の在外公館數は, かろうじて十個所を越えたばかりで, 在外公館への發令を受けることなど, 雲をつかむより難しいからだ.

ところが, 思いもよらなかった海外勤務の機會が, 意外にも早く訪れたのである.
旅券課勤務8個月, 秘書室勤務1年5個月目の1958年7月のある日, 黃秘書官が, 海外勤務に出たらどうかと靜かに尋ねた. 駐美大使館に席が一つ空き, 先任の尹燦秘書が出向くはずなのが, 個人の事情で今しばらくソウルを離れられないので, その機會が私に廻ったと言う. 私に拒む事情などあるはずがない. 夢でさえ願えない駐美大使館勤務である. 喜びを穩しきれない私の上氣した顔を眺めながら, 黃秘書官は, すでに曹長官と金次官で話がまとまっている由, 感謝のお禮を申し上げるが良いと, 耳打ちしてくれた.

金次官とは若干氣まずい始まりだったが, 私の鄭重な態度や, 熱意のこもった勤務態度を次第に見とめるようになったし, 曹長官は最初から紅顔の外交官を自分の子のように氣遣ってくれたので, 彼等の配慮に基づいて今度の黃金機會を受けられたのだと固く信じた.
曹長官はご苦勞であったと勞った後, 米國で多くを學びつつ勤めに勵むことを賴み, 金次官は, 良かった, 良かった, をくり返した.

駐美大使館勤務が內定された後も, 發令の手續きで多くの日時が所要された. まず景武臺より旅費の決裁を受けねばならない. 當時は政府の外貨保有額がいたって少なく, 李大統領自身が外貨使用をいちいち許可していた. 李大統領は申しこみ書類を裁可する際,  Syngman-Rheeの兩頭文字を取って, S.R.と署名していた. それで裁可がおりたという言葉の代りに, S.R.が出たと言えば, 海外勤務の發令が實際確定されたことになるのだった.
S.R.がでると今度は身元調査を受けねばならない. 一國を代表して海外の異國で勤めるわけだからしっかり身元を把握するのは當然なことであろう.

續いて, 形式に過ぎないけれども國務院事務局(現在の總務處)より人事發令の手續きがあり, いて旅券の發給. 外交官旅券第599號. これは外交官生活を續ける間ずっと使用した私の旅券番號である. 旅券課で仕事をした緣で自ら選んだ番號だった. そのパスポ-トを持って米國大使館を訪ね, ビザを貰い, 航空便を豫約し, チケットを貰わねばならない.
以上のような手續きを終えるまでほぼ一個月かかった. そのあい間に中學や大學の同期生, 外務部同僚, 親戚知人などと送別會を持った.

赴任
1958年8月14日の午後2時, 私は汝矣島飛行場よりノ-スウェスト航空のDC-7機で勇躍赴任へと飛び立つた. 母, 二人の妹, 叔父, 其の他多くの知人が私の壯途を祝いながら, 一方別れを惜しんだ. 本部待期となっていた朴東鎭局長が見送り客の中で際立った.

生れて初めて祖國を離れる私は實に感無量だった. 飛行機搭乘は軍服務中經驗していたものの,軍用機とは較べものにならない, ゆったりした雰圍氣の中で私は限りない感懷に浸った. スチュアデスが運んで來た一杯の酒を飮みながら, ついに私は外交官になった, と實感した. そしてこれから自分の生涯を盡すことになる外交官生活が, 果してどう繰り擴げられるか, 心配と希望が交差した.

2時間半程で東京の地を踏んだ. 私は日本で二日間を過す豫定だった. 空港まで迎えに來た駐日代表部の同僚の案內で, 小さな旅館に旅裝を解くことになった. そして銀座で酒を飮み, ダンスを踊った.
長い間使ってない日本語がいとも簡單にしゃべれるのには自分ながらびっくりした.
8.15光復節の次の日には, 代表部で用意した祝賀パ-ティに參席した. 長い日本植民地の後に獨立した我が國が日本の地で, 日本が敗戰したその日に光復を喜び, 獨立を祝うという事, そしてその場に私が立っているという事實が非常に意味深く感ぜられた. 私の東京滯留はこれ一つだけでも大變な感動をもたらした.

次の日, 私を乘せて東京を離れた米國のパンアメリカン機は, ハワイまでいっきに飛び切れず, 眞夜中にウェイク島に寄着した. 當時のプロペラ機では航速距離が不充分であった爲だ. 曉の海邊を散步しながら私は白い珊瑚のかけらを數箇拾った. 最初に米國領土を踏んだ紀念品として保管するためだ.
<中略>
1958年8月20日午後3時, 漸く私は駐美3等書記官として任地のワシントンに到着した. 大使, 公使以外の大使館職員が總動員され, 空港で私を溫かく迎えてくれた. 外務部所屬の館員ばかりでなく, 武官, 他部處の駐在官らも見えた. とりわけ, 首席武官である柳陽洙(後に駐フィリッピン, オ-ストリア, ベトナム, サウディアラビア大使歷任)將軍は一段と私を懷しがった.
私の軍人時代, 配屬されていた7師團の副師團長, 及び第1軍情報參謀だった彼は私を弟のように面倒を見てくれた智將なのだ.
(中略)
次の日, 私は大使館に出勤し, 梁裕燦大使と韓豹頊公事に到着あいさつを述べた.

댓글을 달아 주세요

  1. とんぼ reply | del   2003.03.31 21:49 신고
    &#25309;&#35501;していて若き日の崔浩中閣下の興奮、情熱が&#20253;わってきます。
    旅券番&#21495;が3桁でまだプロペラ機の時代であったとは!
    東京の小さな旅館に…このあたりの記述を&#35501;むと時代背景までが目に浮かんできます。
    &#32154;きを&#27005;しみにしております。