駐美三等書記官 (四)   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

海外勤務の發令
外務部生活をしながら最も羨やましかったのは, 何といっても在外公館への勤務發令を受け, 海外に出向く上司や先輩達を見送る時であったと思う. 獨立してまだ日淺く, 國家の財政も豊かでなかった當時のわが國の在外公館數は, かろうじて十個所を越えたばかりで, 在外公館への發令を受けることなど, 雲をつかむより難しいからだ.

ところが, 思いもよらなかった海外勤務の機會が, 意外にも早く訪れたのである.
旅券課勤務8個月, 秘書室勤務1年5個月目の1958年7月のある日, 黃秘書官が, 海外勤務に出たらどうかと靜かに尋ねた. 駐美大使館に席が一つ空き, 先任の尹燦秘書が出向くはずなのが, 個人の事情で今しばらくソウルを離れられないので, その機會が私に廻ったと言う. 私に拒む事情などあるはずがない. 夢でさえ願えない駐美大使館勤務である. 喜びを穩しきれない私の上氣した顔を眺めながら, 黃秘書官は, すでに曹長官と金次官で話がまとまっている由, 感謝のお禮を申し上げるが良いと, 耳打ちしてくれた.

金次官とは若干氣まずい始まりだったが, 私の鄭重な態度や, 熱意のこもった勤務態度を次第に見とめるようになったし, 曹長官は最初から紅顔の外交官を自分の子のように氣遣ってくれたので, 彼等の配慮に基づいて今度の黃金機會を受けられたのだと固く信じた.
曹長官はご苦勞であったと勞った後, 米國で多くを學びつつ勤めに勵むことを賴み, 金次官は, 良かった, 良かった, をくり返した.

駐美大使館勤務が內定された後も, 發令の手續きで多くの日時が所要された. まず景武臺より旅費の決裁を受けねばならない. 當時は政府の外貨保有額がいたって少なく, 李大統領自身が外貨使用をいちいち許可していた. 李大統領は申しこみ書類を裁可する際,  Syngman-Rheeの兩頭文字を取って, S.R.と署名していた. それで裁可がおりたという言葉の代りに, S.R.が出たと言えば, 海外勤務の發令が實際確定されたことになるのだった.
S.R.がでると今度は身元調査を受けねばならない. 一國を代表して海外の異國で勤めるわけだからしっかり身元を把握するのは當然なことであろう.

續いて, 形式に過ぎないけれども國務院事務局(現在の總務處)より人事發令の手續きがあり, いて旅券の發給. 外交官旅券第599號. これは外交官生活を續ける間ずっと使用した私の旅券番號である. 旅券課で仕事をした緣で自ら選んだ番號だった. そのパスポ-トを持って米國大使館を訪ね, ビザを貰い, 航空便を豫約し, チケットを貰わねばならない.
以上のような手續きを終えるまでほぼ一個月かかった. そのあい間に中學や大學の同期生, 外務部同僚, 親戚知人などと送別會を持った.

赴任
1958年8月14日の午後2時, 私は汝矣島飛行場よりノ-スウェスト航空のDC-7機で勇躍赴任へと飛び立つた. 母, 二人の妹, 叔父, 其の他多くの知人が私の壯途を祝いながら, 一方別れを惜しんだ. 本部待期となっていた朴東鎭局長が見送り客の中で際立った.

生れて初めて祖國を離れる私は實に感無量だった. 飛行機搭乘は軍服務中經驗していたものの,軍用機とは較べものにならない, ゆったりした雰圍氣の中で私は限りない感懷に浸った. スチュアデスが運んで來た一杯の酒を飮みながら, ついに私は外交官になった, と實感した. そしてこれから自分の生涯を盡すことになる外交官生活が, 果してどう繰り擴げられるか, 心配と希望が交差した.

2時間半程で東京の地を踏んだ. 私は日本で二日間を過す豫定だった. 空港まで迎えに來た駐日代表部の同僚の案內で, 小さな旅館に旅裝を解くことになった. そして銀座で酒を飮み, ダンスを踊った.
長い間使ってない日本語がいとも簡單にしゃべれるのには自分ながらびっくりした.
8.15光復節の次の日には, 代表部で用意した祝賀パ-ティに參席した. 長い日本植民地の後に獨立した我が國が日本の地で, 日本が敗戰したその日に光復を喜び, 獨立を祝うという事, そしてその場に私が立っているという事實が非常に意味深く感ぜられた. 私の東京滯留はこれ一つだけでも大變な感動をもたらした.

次の日, 私を乘せて東京を離れた米國のパンアメリカン機は, ハワイまでいっきに飛び切れず, 眞夜中にウェイク島に寄着した. 當時のプロペラ機では航速距離が不充分であった爲だ. 曉の海邊を散步しながら私は白い珊瑚のかけらを數箇拾った. 最初に米國領土を踏んだ紀念品として保管するためだ.
<中略>
1958年8月20日午後3時, 漸く私は駐美3等書記官として任地のワシントンに到着した. 大使, 公使以外の大使館職員が總動員され, 空港で私を溫かく迎えてくれた. 外務部所屬の館員ばかりでなく, 武官, 他部處の駐在官らも見えた. とりわけ, 首席武官である柳陽洙(後に駐フィリッピン, オ-ストリア, ベトナム, サウディアラビア大使歷任)將軍は一段と私を懷しがった.
私の軍人時代, 配屬されていた7師團の副師團長, 及び第1軍情報參謀だった彼は私を弟のように面倒を見てくれた智將なのだ.
(中略)
次の日, 私は大使館に出勤し, 梁裕燦大使と韓豹頊公事に到着あいさつを述べた.

댓글을 달아 주세요

  1. とんぼ reply | del   2003.03.31 21:49 신고
    &#25309;&#35501;していて若き日の崔浩中閣下の興奮、情熱が&#20253;わってきます。
    旅券番&#21495;が3桁でまだプロペラ機の時代であったとは!
    東京の小さな旅館に…このあたりの記述を&#35501;むと時代背景までが目に浮かんできます。
    &#32154;きを&#27005;しみにしております。
           

엘 파소   -   손님글 [客文]



며칠 전 친구들과 저녁 식사를 같이 한 음식점 이름은 엘 파소였습니다.
제겐 처음인 곳이었지만 분위기를 보니 문화활동에 종사하시는 분들이 즐겨찾는 곳인성 싶었습니다
자연스레 합석한 옆자리 손님이 물으십니다.
엘 파소의 뜻이 무엇인지 아십니까... 가 보고 싶은 곳이랍니다....
가 보고 싶은 곳이 하나 더 생겼다는 것도 즐거운 일이지요

그간 두서없이 벌어지는 일들을 추스리느라
사람 노릇을 제대로 못 하고 지나치는 일이 한 두가지가 아닙니다만
제 글을 말없이 읽어주시는 분들 중 한 분이 有炫 선배님이시라는 것.놀랍기도,즐겁기도 하지만
정작 선배님께서 여신 홈에 차려야 할 인사가 늦음에 송구한 변명을 드립니다.
빛날 현 자의 빛남은 휘황하고 눈부신 빛남보다 단아한 빛이란 생각이 들어요.
이전 제 홈을 열었을때 유정씨(41회 유정 선배님 아니구요.^ ^)가 남긴 말인데요,
홈페이지도 사람을 닮는다...
잠깐씩 스쳐 지나가는 만남이지만 선배님 모습에서 느껴지던 단아(端雅)한 향기가
아드님, 따님의 합작품이시라는 이곳 홈에도 고스란히 서려 있네요.

매사에 저보다 한참 앞서가시는 칸쵸 선배님,
인삿말 남기시면서 컴도사 아드님 자랑도 슬쩍 끼워 넣으셨는데요.
요즘은 온라인에서도 자녀 자랑,손주자랑은 배춧잎 놓고 하는게 관례라지요? ^ ^
부팅만 하면 악을 쓰고 소리지르던 노트북에 아예 열리지도 않던 데스크탑,
휴가 나온 길에 몽땅 손봐주고 귀대한 저희 아들 자랑으로 <삿비끼>하고 말까요? ^ ^

외국어 습득의 마지막 단계는 글쓰기라지요.
일어를 한다고는 하지만, 덧붙여 고모님께서 와카라는 장르에 우뚝 서 계시지만,
정작 제 수준이라는 것이 상대의 말을 겨우 눈치로나 알아듣고, 몇 마디 중얼거릴 정도밖엔 안 되네요.
언감생심 작문은 넘보지도 못할 일,
이전 읽은 선배님의 하코다테 기행문이 얼마나 부러웠던지요 ^ ^

늦은 인사에 죄송한 마음을 히바리의 노래 한 곡과 그림 한 점으로 대신 놓고 갑니다.
이른 아침, 선배님 홈을 즐겨찾기에 추가하는 일은 행복합니다.

'손님글 [客文]' 카테고리의 다른 글

この 世の 荷物を 減らしながら  (2) 2003.04.01
파티에서 있었던 해프닝  (0) 2003.03.29
엘 파소  (1) 2003.03.28
漢詩 - 送友人 -  (0) 2003.03.24
지각생 딸네미 인사 말씀  (0) 2003.03.24
존경하는 선배님! 참 좋습니다.  (3) 2003.03.23

댓글을 달아 주세요

  1. yoohyun reply | del   2003.03.28 22:16 신고
    제목의 엘파소를 보고 ?? 했는데, 가보고싶은 곳이라니.... 첨 알았고^^; 무척 고마왔습니다.
    그림 마음에 쏙 들어요. 美空ひばり 의 &#039;川の流れのように&#039; 는 우리 나이에는 실감나요 .
    작년 가을 친구들과 일본여행 갔을 때, 마지막 밤 富山의 호텔 지하 가라오케에서 휘나레로 다 함께 불렀다나요.
    아니다, 마지막은 서울찬가를 불렀지*^^* 정신이 오락가락 -_-;
    생각날때마다 한번씩 들러서 창옥님의 작품 올려놓고 가 줘요. 이래뵈도 손님의 질은 다양하답니다.