待ちに待った全羅道旅行でした。   -   기행문 [紀行文]

2泊3日の国内旅行でしたが、朝8時出發KTXに乗るため7時前に家を出、
帰りのKTXは夜8時33分龍山驛到着で、家に帰ったら9時半, 正味三日を歩きまわった
充実した旅でした。
全羅道にはほとんど足を入れてなかったので、今度の旅には大いに期待をかけましたが、
どこでも期待以上の大満足を与えてくれました。三日目の午前に少し雨がぱらつき
ましたが、ブレザーのフードで間に合うほどで、二日は晴天に恵まれました。

以前、東大邱の新駅舎に目をみはり、建て増した瀟洒なソウル駅や釜山驛に驚かされ
今度, 龍山驛舍の見事さにはつい唸ってしまいました。建築したのを全然
知らなかったので, 感動が倍加したのでしょう。
KTXが動きだすや朝食代わりにと、パン、餅、チーズカステラなどを配ります。
車内販売のコーヒーを求め、餅を二切れも頬張りました。その間もぺちゃくちゃ
おしゃべりが尽きません。光州までの3時間はあっという間でした^^;



驛前にマイクロバスが待ってたので、みんな嬉々と乗り込見ましたが、動きだす
気配がありません。訊ねると、聞き取りにくい全羅道なまりで、当の運転手が
事情で少し遅れると臨時運ちゃんが答えます。電話をかけては少し移動し、また
止り時計をのぞく。。いらいらしながら待つこと一時間あまり、やっと
新しいマイクロバスで運転手が現れましたが、ろくに謝りもせず、
バスに乗り替えさせ、そのままスタート、みんなあっけにとられました。

 

美味しい本場の韓定食で気を取り戻した一行は白羊寺へ向かいました。
釋迦誕辰日がせまったとかで、山門からずっと提灯が連なっており、
当日の夜明りを灯すとそれはそれは壮観だとガイドが伝えます。
白羊寺は631年僧侶、如幻が創建し、白巖寺と名付けたのを1574年(宣祖7)、
今の名に換えたとのことでした。
とてもこざっぱりした、静まり返ったお寺で人もまばらでした。
信者の友人達が大雄殿でお祈りをあげる間、裏に回り、白羊寺再建に心掛けた
逍遙の遺業を称賛するために立てた逍遙大師の浮屠や, 釋迦牟尼の眞身舍利が
安置されている9層塔を眺めたりしました. 

 

潭陽竹綠園では、展示館を一回りし、竹細工品を見物したのが全部でしたが、
やたらと要らない写真を撮ったためかバッテリがなくなってしまい、
次の文化観光地'瀟灑園'では写真を一枚も撮れなかったのが心残りです。
パンフレットに
'文学を専攻する人たちばかりでなく、造景·建築などの専門家もぜひ見ておくべき
必須コースで、地域文化を理解しようとする若者たちの休憩と文化体験場所として
人気を集めているところです。特に湖南の風流を肌で感じる事ができるここは
南道地域の代表的文化観光名所として位置づけられています。'
とありましたが、なるほど、と頷けました。
瀟灑園は朝鮮中期, 梁山甫という人が造成した代表的な民間別棲庭園で、
史蹟304號に指定されているそうです。ボランティアの中年男が
'霽月堂‘にみんなを招き、長々と由來を述べてくれましたが、要するに、
主人公が、自然のなかで学問に励み、文士との交遊を深めたところなんですね。
閑雅な佇まいの自然に心酔されました。
 
夕食を6時に予約したので時間が余るといい、有名な淳昌コチュジャン村へ
一行を連れて行きます。庭に数十個の瓶が並ぶ店で、各各好みの貯藏食品を求め
食堂に向かいましたが、それからが大変でした。約一時間の距離と言うのが、
辺りが闇に包まれ真っ暗になるのに高速道路上で運転手が方向音痴になったのです。
南に、西にと突っ走るばかり、目指す町を探せないのです。町の明りが見え
ほっとする間もなくまた闇のなかに入り、運転手とガイドが携帯電話を
ひっきりなしにかけるのですが無駄なようで、ただおろおろするばかり、
私たちは怒りと恐怖を沈めるために声を張り上げて歌を唄いはじめました。
迷いに迷ってやっと食堂にたどり着いたのが夜の11時過ぎ、腹ぺこだったのも
ありますが、海の幸、山の幸が溢れるばかりの食卓につくや、みんなむさぼるように
片っ端から料理を平らげました。ああ、なんと美味しかったこと!
またあちこちさまよって12時半にホテルへチェックインしましたが、階下に
海水サウナがあると聞いて、勇敢に独りで降りて行き疲れを落としたものです。
そして眠りについたのが2時過ぎ、でもおかげで熟眠することができました。

 

楽しみにしていた寶城茶畑は写真で見る方がもっと素敵だったようで、
それほど感動的ではありませんでした。側の杉林をゆっくり散歩しながら
森林浴を楽しみ、昼食にコマック(貝の一種)定食をとった後、松廣寺へ。
まだバッテリーを求めなかったので写真も撮れずいらいらするばかり、
仕方なく携帯電話で数カット撮りながら修学旅行の中高生がひしめく中を
歩きまわりました。
この寺は1966年に曹溪叢林になったとのことで、叢林とは、禅院、講院、律院を
そろえた寺刹を意味するといいます。道理で建物が51棟もあった!
大雄寶殿の前にある博物館に仲間の一人と入りました。
靴を脱ぎスリッパーに履替えて入ったら、薄暗いところに座っていた僧侶が
スリッパーの音をたてないようにと注意するので、じゃ、音の立たない履物を
そろえておけば良いじゃないかと、気分を損ね、適当に一回りして外に出ました。
とある建物の前に木船のような特異な形のものが置いてあり、これが松廣寺の
3大名物の一つ、'ビサリグシ'でした。お寺で國齋を催す時、寺に集まる
佛者のために飯を貯藏した木造容器だとのことでした。携帯電話で撮ったので
画像がいまいちです。

         
この日の夕食は最高でした。梅実を餌に混ぜて育てたという牛の焼き肉で、
運ばれる各部位を次々と炭火で焼き、レタスに包んで食べるのですが、
その旨さは言葉で表現出来ないくらいでした。お腹の調子も考えず夢中に食べた後
心配になってパンシロンを飲みました。


スケジュールに無かったドルメン公園を訪れました。運良くバッテリーを求めれたので
ぱちぱちとシャッターを切り上機嫌でした。
説明に依ると、1984年, 順天市住岩面に多目的ダムが建設される際、發掘された
文化遺蹟の中で、支石墓, 立石, 穴蔵などを移轉、復元して遺蹟公園に造成したとの
ことでした. 広々とした公園にはドルメンが147基もあり、舊石器時代の住いも
1棟ありました。ユネスコ世界文化遺産に登錄され、國內はもちろんのこと、
世界的にも關心が集中されているそうです。


帰りの日に訪れた泰安寺は、新羅景德王元年(724年)、慧哲禪師が九山禪門の一つとして
創建した寺刹だそうです. 新羅時代は隣近の松廣寺を末寺として抱えていたほど
大きなお寺であったのが、高麗時代に入り松廣寺がどんどん擴張し、萎縮してしまった
そうです. しかしとても美しいお寺でした。小さな流れに沿って歩く2キロほどの
さりげない山道が安らぎを与えてくれました。
寺の前に円形の大きな池があり、山門を潜ると小綺麗な浮屠畑、境内の建物は
端正でしたが、さほど古くは見えません。
それは、六·二五事変時、泰安寺附近で激しい戦いが繰り広げられ寺刹の建物すべてが
焼失したので、戦後再建されたからでした. 泰安寺の側には當時の戰鬪で命を失った
警察官たちの靈魂を慰める警察忠魂塔が立てられていました.



カタンコトンと、觀光用蒸氣機關車に乗り、蟾津江邊のすばらしい風景を眺めます。
1998年全羅線改良化工事により鉄道13.2キロが閉鎖されるや、谷城郡でこれを買入,
廢鐵道に觀光用蒸氣機關車を投入して運營しているのです。
週5日働き、週末はマイカー乗り回して家族共々遊びまくる今日の風潮に合せて、
町をあげ観光誘致に励んでいる様子を至る所で確認しました。
 
すばらしい旅を企画した佛敎グループのリーダーに心から感謝している次第です。



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  1. imaichi reply | del   2008.04.28 10:09 신고
    すばらしい、全羅道旅行報告に、祝福を奉げます。
    歴史的な仏閣や、風光明媚な自然、おいしそうな
    食文化の紹介を、樂しみました。
  2. yoohyun reply | del   2008.04.28 16:10 신고
    いまいちさん こんにちは
    全羅道をじっくり歩き回ったのは初めてでした。第一食べ物が美味しくって^^;
    白兎山人さんにでもご案内お願いしてぜひ一度訪れて見てください。
    交流会、あとわずかですね。指折りしています^<^