[隨筆] 外交は踊る [4,5] : 崔浩中   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

(4) 青二才、外交官の初赴任

今は世界の至る所に我が外交網が広がっているけれども、私が初の海外勤務に出た1958年頃の在外公館数はたったの十個にすぎなかった。その中で駐美大使館が最も重要な所で誰もが此処への欲望を抱えていたけれどもそれは容易く成せない難しい夢だった。

私はついにその夢を果した。初の海外勤務地として駐美大使館へ赴くことになったのだ。今もそうだが、長官秘書室で勤務した事が大変な威力を発揮したわけだ。曹長官は、これまでご苦労だったと労いつつ、美国で多くのことを学び働くのだ、と励ました。 

1958年8月14日の午後2時、私は汝矣島空港よりNorthwest Airline DC-7機便で勇躍赴任地へ飛び立った。多くの歓送客の中には母をはじめ家族や数多くの知人、朴東鎭儀典局長もその中に混ざっていた。

2時間半で私は東京の地へ降りた。初めて踏む外国の土地だった。空港まで迎えに来てくれた駐日代表部同僚の案内で小さな旅館に入ったが、長い間使わなかった日本語がすらすらと口から出るのには自分ながらびっくりしたものだ。

次の日が8.15光復節で私は代表部で行なわれる祝賀宴に参席した。日本植民地から独立したわが国が日本の地で、日本が敗戦したその日に光復を喜び独立を祝う、そしてその場に私が居るという事実が夢のようで胸がいっぱいになった。 

日本を離れ、任地のWashington D.C.へ向かう途中、私はWake Island, Honolulu, そしてSan Franciscoを經由した。その時はまだ太平洋を一気に飛ぶ飛行機が無かったので幾つかの島に寄着せねばならなかったのだ。

San Franciscoでは忘れられぬ経験をした。其処の総領事館に勤めている同僚の案内で、すばらしい夜景を楽しめれるとの高層ビル・スカイラウンジへ上がった時に発生した出来事だ。

深々としたソファに坐り、渇れた喉を潤そうとウィスキーを頼むや注文を受けに来たきれいなウエートレスが、ウィスキーは駄目で、ビールなら差し上げると言うのだ。その理由を聞くと、未成年者にはウィスキーを売ってはいけないことになっていると答える。呆れ返った。

二十八歳になった私が二十歳にも見えぬと言うのか。私は落ち着いた声で、1930年生れであるが、信じられないのかと聞いた。彼女はじっと私の顔を見つめた後、「I believe you」と言いながら戻り、ウィスキーを運んで来た。苦労して貰った酒を飲みながら私は、酒一杯飲むのにこれほど骨が折れるからには、この先、巧く外交官生活をこなすための難關は絶えないことだろうと痛感した。

あれやこれやと苦労の挙げ句に駐美三等書記官としての任地へ私が到着したのは1958年8月20日の午後3時だった。梁裕燦大使は私を温かく迎てくれた。 

(5) 趙炳玉博士の急逝

梁裕燦駐美大使は私を経済課へ発令した。だがこれといった仕事は無く、末端外交官としての様々な雑務をするしかなかった。新聞を読んで重要記事を拔萃する仕事、ソウルより送ってくる各種の資料、英語新聞などを配布する仕事、毎週一回ソウルへ送る外交行囊を準備する仕事、それから国内有力人士の空港迎接や見送りなどが業務のすべてだった。 

年が明けると国内では大統領選挙が近づき熱気が上がり始めた。その時期に野党大統領候補趙炳玉博士が、突然身病治療のため朴浚圭秘書を携えてワシントンへ来たのだ。梁大使や韓豹頊公使はすごく気になる様子だった。

そんなある日、韓公使が私を呼び、紙一枚を差し出しながら、この暗号電文を解いてくれと言う。それは景武台と韓公使の間に行き交う特定英字辞書を利用した暗号通信方式で作成されたものだった。解いてみると、野党が全某という人を通して郵便物を取り交わしているが、彼が大使館に勤務している全祥振1等書記官であるのか訊ねる内容だった。

全1等書記官は朴浚圭秘書と親しい仲であった。朴秘書官は自分達の仲を信じ、事前了解無しに全1等書記官のアドレスを国内外の郵便交換に利用して来たし、全1等書記官はどうしてもこれを止めさせなかったのである。この經緯は詳しく解明され、それ以上問題にされなかった。

それが数日後に予期しなかった事が発生した。趙炳玉博士が入院中だった病院で突然死亡したのである。病院より通報をを受けて急ぎ大使館に戻って来た一人の公使は、その日に限って早く出勤した全1等書記官を見るや、早く趙炳玉博士の死亡事実を景武台へ報告しろと指示し、彼はすぐそれを打電した。

その日の午後、ソウルより国際電話が掛ってきた。金永周外務部政務局長が盧信永1等書記官を呼び出し、外信で趙炳玉博士の死亡を報道しているが、どうして大使館では公式報告が無いのかと叱責するのだ。

盧1等書記官は全1等書記官がすでに報告したと聞いたので別途の電文報告はしなかったが、その報告は景武台へ送ったもので、外務部へ送ったのではなく、行政系統を嚴密に正す金政務局長はこれが大変気に入らなかったわけだ。

こっぴどい目にあった盧1等書記官は、腹いせを全1等書記官にするしかなかった。報告をするならきちんとやるべきだ、どうして自分の所管でもない政務関係事項に手を出しこんな目に逢わせるのかと責めた。全1等書記官も黙ってはいなかった。自分は上司の指図に従っただけで、元はと云えば、領事業務も担当している職責上, 海外旅行中死亡した国民に対する事項を自分が処理したのは間違っていない、と反論する。盧1等書記官は、趙炳玉博士は平凡な一人の旅行者ではなく、大統領候補である故、政治的次元で扱うべきなのは常識だと言った。全1等書記官は、そう考えたからには政務の方で詳しく報告すれば良かったものを、成すべき事をやらずに何の文句付けかとやりかえす。怒声はますます高くなり雰囲気も騒々しくなったが、回りで引き留めたのでそれ以上の衝突は無かった。その後、数日間の冷戦が続いた後、ひとまず和解は成されたものの、彼等の心底に解けない凝りが残っているのは明らかだった。

 

저작자 표시 비영리 동일 조건 변경 허락
신고

댓글을 달아 주세요

  1. suean reply | del   2016.06.30 21:41 신고
    생전에 뵌 적은 없지만 두 오라버니님의 옛 사진과 행적(?)으로 미루어
    당신이 한평생 이상형으로 정해 놓은 남성의 모습을 그려 볼 수 있을 것 같군요.
    어쩐지 눈이 높다 싶더라니~~~~.
    • yoohyun del    2016.07.02 10:06 신고
      나의 이상형은 육이오때 사망한 큰오빠랍니다^^;