沖縄の想い出   -   기행문 [紀行文]

引き出しの奥から沖縄旅行寫眞が出てきた. 1992年11月17日となっている日付けを見ながら
やっぱりあの時は若かったなぁ... しばしあの時を偲ぶ.



1992年の晩秋, 友達の集いの座で誰かが
‘ねぇ、一緒に暖かい沖縄へ旅しよう’ と話を持ち出すや、うん、行こう行こう,
とはしゃぎだし、数日後、11名の仲間が那覇行飛行機へ乗ったわけである.

                 
   

私達が訪問する少し前に首里城の正殿や瑞泉門などの復原が完成し
きれいに丹粧されたところを観る幸運に恵まれた.
建物の强烈な朱色が印象的で, 靴を脱いで廊下づたいの建物内を隈無く見回しながら
我国や日本本土よりは中國に似通っていると感じたのをおぼえている.



ずいぶん前のことで記憶があやふやだが, たしか到着した日の午後は、わが民俗村のような
琉球村を訪れ、沖縄祖先の生活樣式や文化を垣間見た. 水牛を利用して砂糖作り,
藍染め方などの說明を聞き, 砂糖黍で作った飴などしゃぶったっけ.



万座毛は、18世紀前半、この地を訪れた尚敬王が「万人座するに足る」と
言ったのが名前の由来といわれるそうな。なるほどすごく広い天然芝の廣場であった.
眼が眩むような琉球石灰岩の断崖絶壁や、岩に砕ける水色のなんとすばらしかったこと!
そこで幾ばくかの金を払い、沖縄傳統衣裳の若い娘と記念撮影.




私達が泊ったホテルが北の果ての本部という所だったような気がする。
日が暮れる中をバスは山並みに沿って走りつづけ、ガイドがサービスに沖縄歌‘花’を
唄い、 それから私達の合唱が始まり、ホテルに到着するまで休むことなくつづいた.

朝早く数名は近くのゴルフ場に向い、残りは沖繩市へ旅立った.
私は初めから気乗りがしなかったが、みんなの意見にしぶしぶ従ったものの, 結果的には
路上で大分の時間を無駄にし、べらぼうに高い緩行バス賃を払っただけの、悔やみだけ残る
旅だった.

異國的な雰圍氣の小都市という以外何も観るべきものが無い沖縄市, 豚肉汁の沖縄うどんは
口に合わず半分も食べられなかった。
ひとつ、米軍基地が有るからだろうか、街角のアイスクリーム売りの婆さんの口から
淀みもせずさらさらと英語が流れ出たのにはびっくり仰天した. 

                 
次の日は朝から雨だった. 沖縄が誇る東南植物楽園を訪れたが、傘をさすと雨足の他には
前の人のお臀しか見えない. 熱帯、亜熱帯植物約2000種類が植えられていると言っても
この雨では仕方ないと、巨木が立ち並ぶ道を少し歩いて踵を返すしかなかった.
でも、入口の咲き乱れたブーゲンベリアは見事だったなぁ...

豫定観光コースの玉泉洞, 摩不仁の丘, 姫ゆり塔などは雨で取消しになり,
ガイド孃が連れていったガラスの森館で取手のついたガラス壜をお土産に一つ買った.
余った時間は那覇市内で自由行動を取ることになった.
繁華街のショッピンモール五階だったと覚えているが, コーヒーショップで、すごく
ハンサムなウエーターがテーブルの脇に跪き注文を受けるのがすごく珍しかった...



            

ああ, 写真のなかで笑っている、永遠に私達の側を離れた親友 ....
きっと天国で私と一緒にこの写真を眺めながら微笑んでいるだろう.



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